Masuk「杏華さん。失礼します」
そのときコンコンと楽屋のドアをノックする音が聞こえる。
「はい。どうぞ」
その声に返答すると、撮影現場のスタッフさんが顔を出す。
「これ。差し入れです」
「え? 差し入れ?」
「はい。杏華さんところの桐生社長からです」
「え? うちの桐生から?」
今日はまた別の仕事で現場に来れないとは言ってたけど、わざわざ差し入れなんかしてくれたんだ。
「どうぞ」
そう言ってスタッフさんが楽屋に届けてくれたのは、すごく豪華なカットフルーツの盛り合わせだった。
「うわ~すごい……」
そこにはイチゴやオレンジにキウイだけじゃなく、高級そうなメロンにマンゴーに巨峰にシャインマスカット──。
色鮮やかに所々のフルーツでバラの花のように華やかに飾られている。
だけどあまりの大きさと量。
「あの、これ量が多すぎるんですけど、
「杏華! それ! この前杏華がフルーツタルト食べてたときに言ってたやつ!」「フルーツタルト?」私はそのとき言ってたことを思い出そうとする。私、何て言ってたっけ。「フルーツがいっぱい乗ったケーキが好きだって言ってたじゃん!」「え? 嘘ッ! もしかして、それでこのフルーツ!?」確かにあのときそんなことは言ってたけど。まさかそれがこのフルーツに繋がったっていうの!?「だって今まで一言もそういうこと言ってないなら、『杏華が好きなフルーツ』ってなるのおかしいじゃん。もうそれしか考えられない!」「やっぱり、そう……だよね? え、あんな一瞬のたいしたことないやり取りに?」あまりにも普通の会話で、そこまで大きな意味を持たない言葉で、言った自分でさえ、ちゃんと覚えてないくらいなのに……。それを、彼は覚えてくれていて、今日これを用意してくれたってこと──?私は彼のその優しさと気配りに、ドキドキが止まらなくなる。ここにいないのに、一弥さんの存在が、このフルーツから、ひしひしと伝わってくる。これを一つ一つ彼が用意したわけじゃないけど、でもこの華やかで彩られている美しいフルーツを見ると、ぽかぽかと私の心まで明るく温かくなって満たされていく。「いや、この急な溺愛攻撃やばすぎん?」「え!? 溺愛!? 」私はあまりにも聞きなれないその言葉に、動揺しまくって顔まで熱くなる。「いや、こんなのあからさまでしょ。まぁ多分向こうは変わらず無意識に、その溺愛攻撃されてるだけでしょうけどね~フフッ」夏希がニヤっとからかうように笑う。「もう夏希からかわないで!」私は熱くなった顔を両手で必死に抑える。「フフッ。照れちゃって可愛いな~杏華ちゃん♪」そんな仕草をしながら、ホントは心では嬉しくて、つい零れてしまいそうになる笑みを、その両手でそのまま隠してごまかす。夏希は私のそんな想いを知っているはずなのに、あまりの恋愛初心者の私は、ついそんな小さなことも、恥ずかしくなってしまう。だけど、本当にあのときの言葉を覚えててくれて、こんな素敵なものを差し入れしてくれたんだと思うと、またときめきが止まらなかった。「ね、ね。まだ撮影まで時間あるし、影響ない程度に今食べちゃおうよ。リップは取れても直してあげるから!」「うん。食べちゃおう!」私たちは差し入れしてくれた豪華な
「杏華さん。失礼します」そのときコンコンと楽屋のドアをノックする音が聞こえる。「はい。どうぞ」その声に返答すると、撮影現場のスタッフさんが顔を出す。「これ。差し入れです」「え? 差し入れ?」「はい。杏華さんところの桐生社長からです」「え? うちの桐生から?」今日はまた別の仕事で現場に来れないとは言ってたけど、わざわざ差し入れなんかしてくれたんだ。「どうぞ」そう言ってスタッフさんが楽屋に届けてくれたのは、すごく豪華なカットフルーツの盛り合わせだった。「うわ~すごい……」そこにはイチゴやオレンジにキウイだけじゃなく、高級そうなメロンにマンゴーに巨峰にシャインマスカット──。色鮮やかに所々のフルーツでバラの花のように華やかに飾られている。だけどあまりの大きさと量。「あの、これ量が多すぎるんですけど、私の楽屋じゃなくスタジオへの差し入れじゃないですか」「あっ、スタジオにももちろん差し入れしていただいてます。それは間違いなく杏華さんに届けるようにと言われてるので」「え──私に?」「はい。あっ、これ一緒に預かったメッセージです」「え? メッセージまで!?」そう言われて渡された小さな白い封筒を受け取る。「いや~ここまで高級フルーツの差し入れ初めて見ましたよ。こんな高級店のフルーツいただけて皆すげー喜んでます! ありがとうございます!」そのスタッフさんは、勢いよく頭を下げ、嬉しそうにお礼を伝え戻っていった。「やっばー。この豪華さ、すごすぎるんだけど。高級店のここまですごいフルーツ盛り合わせ、いくらするんだろ」夏希はそのフルーツをマシマジと興味津々に見ている。「どうしたんだろ。これ。なんで私の楽屋にこんな豪華なフルーツを?」私は謎の行動に頭が疑問だらけになる。「その受け取った封筒
「まったく問題ないよ」私の不安なんて気にも留めないような素振りで、夏希はそう口にした。「問題ないって……」「だって。すでにもうあの人、杏華に自分をコントロール出来ないくらい激しい恋愛してんじゃん」そう言って二ッと笑う。「え──!? まさかそんなのあるはずないよ!」「ハハッ。やっぱり杏華も全然気づいてないよね~」そう言って夏希が笑っているのを見ながら、私はキョトンとしてしまう。「私が見ているだけでもあの人の行動普通じゃないよ? っていうかヤバいからね。杏華に嫉妬と独占欲が丸出しで。あんなの誰が見ても杏華への愛情ダダ漏れだからね?」夏希は平然とそんな言葉を呟く。私はまさかと思いながらも、もし本当にそうだとしたらと思うと、少し恥ずかしくなってしまう。「思い返してみなよ? 全部それ当てはまるでしょ? あの人自分でそれ気づいてないだけだよ」「確かにそう言われてみれば、思い当たらないこともないけど……。でも、やっぱり夫婦だったときのことを考えると、どうしても信じられなくて……」「あぁ~確かにそれはあるよね。それはあの人が反省すべきマジ大きすぎる罪だからね」「罪って……」「多分ね。子供が出来たそのときの夜の話も聞いてて思ったんだ。無意識に杏華に嫉妬して独占欲が大きくなって、止められない感情が爆発してそういうことしちゃったんだろうな~って」「え……」「そのときさ、無理やりだった?」「え!? あっ、どうだっただろう!? 最初は強引だったけど、段々なんとなく優しさを感じていったというか……」決して怖さも辛さも感じなかった。私は確かにあのとき、どんなカタチでも彼に求められたことが、そのとき感じられた偽りの幻のような優しさでも、幸せを感じられたから──。「うん。そういうことだと思うよ」夏希はすべて見透かしたような表情で、優しく嬉しそうに微笑む。
それから夏希は本当に言葉通りに、いとも簡単にメイクを手早く直していく。「どう? さっきよりも更に綺麗になったと思わない?」メイクを仕上げた私を鏡で見直すと、本当にさっき以上に綺麗になったように思える。「こんなアレンジ私にしたら朝飯前の余裕の余裕! 杏華は安心して私にすべてを任せてくれたら大丈夫だからね!」そしてまた親指を立て、カッコよく私に伝えてくれる。「フフッ。すごく頼もしい。私、ホントに夏希に出会えて幸せ」「私もだよ! もうこんなに助けてあげたくて何でもしてあげたくなっちゃう人、他にいないから!」「ありがとう夏希」「どういたしまして」鏡越しにまた夏希と微笑み合う。「でも。私思うんだけどさぁ。絶対桐生さん、杏華のこと好きで仕方ないと思うよ」「えっ!? まさか──」「多分、今も昔もその気持ちに自分で気づいていなかっただけじゃないかなぁ。桐生さんって、ただ恋愛に不器用なだけのような気がする」「そうなの……? 私も恋愛初心者だから、そういうの全然わからなくて……」「あ~。そういうことか~。恋愛初心者の不器用な二人だから、そんな絡みまくってややこしい関係になっちゃってるってことか」夏希は妙に納得して”うんうん”と一人頷く。「私はそうだけど、彼はそうじゃないんじゃないかな……。今まで綾乃や他の女性たちとも付き合っていたはずだし……」「それはただそうだっただけでしょ?」「どういうこと?」「ただ付き合ってただけってこと。それが決して相手を好きだったとは限らないじゃない」「え……。好きだから付き合うんじゃないの?」「フフッ。そうじゃないんだな~。どう見てもあの人恋愛下手だわ。普通の愛情表現の仕方も知らないし、まず自分のそういいう感情にまったく気づいてない!」「気づいてないって……?」「多分あの人、本気で誰かを好きになったことないと思う」
「え……。どうしたの夏希……。そんな怖い顔して……」私はいきなり変わった夏希の雰囲気に戸惑いながら答える。「ねぇ杏華。どうしてあなたたちは結婚していたのに、杏華からそんな言葉が出てくるの? あなたたちは一体どういう関係だったの?」夏希は私の両腕をギュッと握り締めて、少し悲しそうな顔で必死に尋ねてきた。私はその夏希の様子に少し驚いてしまう。夏希がこれだけでそんな反応するなんて、やっぱり私たちの関係は少しおかしいということだよね……。私は、そのあと夏希に彼とのすべてを話した。義妹の綾乃の身代わりで政略結婚をしたこと。ずっと昔から片想いしていたこと。綾乃の嫌がらせ。離婚するときの経緯や離婚してから今までのこと。そして彼にずっと彼に愛されるということはなかったこと──。夏希は、ずっと泣きそうな表情をしながら、ずっと聞いてくれていた。そして、私は今まで口にしなかった悲しくて、だけど嬉しかった気持ちを夏希に告げた──。「彼は……、私を愛したことは一度もなかったの……。それどころか私には嫌悪感しか持っていなかった……。だけど……、あの夜、どうして彼がそんなことをしたのかは今でもわからないけど……。私はたとえ一人で育てていくことになっても、この子を私に授けてくれた彼には感謝してる……」私はまたお腹をゆっくり撫でながら、その幸せを噛み締める。「杏華……。グスッ……」「え? 夏希、なんで泣いてるの!?」隣の夏希を見ると、どうしてか涙を流している。「だって~! そんな切ない話ないじゃんか~!」夏希は号泣しそうな勢いで私に答える。「ありがとう。夏希。私のために夏希が泣いてくれるだなんて、すごく嬉しい」私は夏希を優しく見つめながら微笑みかける。「決めた! 私その子の第二のママになる!」すると、涙を拭いながら、力強く宣言する夏希に私は驚いて目を丸くする。「え! 夏
「ねぇねぇ。桐生さんとはあのあとどうなったの~?」次の現場の楽屋で、夏希はヘアセットをしながら興味津々に聞いてきた。「あっ、うん。おかげさまで、ちゃんと誤解も解けました」「よかった~!」鏡越しの夏希は自分のことのように喜んでくれている。「彼ね……。私を、ちゃんと信じてくれてた──」あのときの彼を想い浮かべながら言葉にすると、嬉しさと温かさでまたいっぱいになる。「ね! 言ったでしょー! 絶対大丈夫だって!」「うん──」夏希の力強い言葉に嬉しくて自然に笑みが零れる。「私が自信なくて、信じられていないだけだった」「そこまで自信なかったのは、やっぱり自分を信じてもらえてなかったから……?」「うん。それもあるけど……。それだけではない理由が彼とはいくつもあって──」私と一弥さんの関係は、そんな言葉だけで説明出来るほど決して簡単ではない。たとえば普通の恋人同士なら、誤解やすれ違いで信じてもらえないからって自信を失くしてしまうのは、よくある話なのかもしれない。だけど、私たちは……、政略結婚で私は綾乃の身代わりで、そこに最初から愛なんてものは元々存在していなかった──。最初から信じ合えるはずもないそのいびつな関係は、そもそも普通の関係を築けること自体不可能だったのだ──。「そもそも桐生さんとは実際どういう関係なのかも気になってたんだよね~。あの感じだと元カレとか、そういう感じ?」「元カレ……。フフッ。そんな素敵な関係ならよかったのに」「え? それ以外の関係って何? なのに、あんな親しげな雰囲気、謎でしかないんだけど」夏希は、これからずっと私のそばに一緒にいてくれる人だから、ちゃんと話しておこう。彼との関係も、そしてこのお腹の子供のことも……。「そのことで、夏希に話しておきたい大切なことがあるの──」私は後ろに身体を向けて、夏希の目をしっかり見つめながら伝える。
「……?」 目の前に差し出された離婚届を見つめ、喉が張り付いたような声で問い返した。 「あなた……どういう意味なの?」 「綾乃から、全部聞いた」 彼の顔には、余計な表情は一切なかった。 あるのは、骨の髄まで染み込んだ冷酷さだけ。 「三年前、うちとお前の家に政略結婚の話があると知っていただろ。 お前は俺と結婚したかったから、彼女を追い出した。別れを強要し、海外へ行かせたんだ」 ――ドン、と。 頭の中が、真っ白になった。 「違う……」 声が震えながらも、私は必死に最後の光にすがる。 「一弥さん、信じて……! あの時は、彼女が自分で行きたいと言って……私は……」 「もういい
「わあ、すごく綺麗なお花!」 綾乃は、私の腕の中に抱えられた花束を、目を輝かせて見つめた。 私は反射的に花束を抱き寄せる。 「この花は……」 言い終える前に、すらりとした長い手が、私の腕の中から花束を奪い取った。 呆然と顔を上げると、そこには桐生一弥の、感情の揺らぎひとつない瞳があった。 彼は、私が心を込めて選んだ――純潔な愛を象徴する白いバラの花束を手にすると、そのまま自然な動作で振り返り、綾乃の前に差し出した。 「誕生日おめでとう、綾乃」 低い声だったが、突然静まり返った個室の中には、はっきりと響き渡った。 綾乃は驚きと喜びの入り混じった表情で花束を受け取り、顔を花びらに
【プロローグ】 初恋は実らないものだ、と人はよく口にする。 私はそれを信じず、初恋の人と結婚した。 結婚三周年記念日。 私は妊娠をした身で、ミシュランに引けを取らないほどのご馳走を並べ、彼の帰りを待っていた。 すると彼から一本のメッセージが届き、ある高級レストランの住所だけが記されていた。貸し切りだと。 ついに彼も気が回るようになったか、サプライズを用意してくれたのかと思った。 ドアを開けた先にあったのは、私の妹・綾乃の誕生日会だった。 その瞬間、私はすべてを悟った。 自分だけが幸せだと思い込んでいたこの結婚は、最初から最後まで私ひとりだけの独り舞台だった。 私はあの子の影
目を覚ました瞬間、強い戸惑いに包まれ、次いで記憶が断片的に一気に押し寄せてくる。 気付けば無意識のうちに私は下腹部をかばっており、鈍い痛みが走った。 そのとき、そばにいた一弥さんの姉の真琴さんが私が目を覚ましたことに気付き、慌てて駆け寄る。 真琴さんは私の手をぎゅっと握り締め、声を震わせながら言った。 「よかった……やっと目を覚ましたのね。お医者さんが言ってたの。急激な精神的ショックと、長期間の心身の抑圧が原因で、切迫流産の状態だって。今は安静が必要よ。……ねぇ、どうして妊娠していること私に言ってくれなかったの?」 「どうして、私は病院にいるの? どうして真琴さんがここにいるの?」







